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ぶろぐ

理転もしたけれど、わたしはげんきです。

西野カナと自己肯定感

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www.youtube.com

トリセツ
作詞:Kana Nishino

(1番)
この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう。
ご使用の前にこの取扱説明書をよく読んで
ずっと正しく優しく扱ってね。
一点物につき返品交換は受け付けません。
ご了承ください。

急に不機嫌になることがあります。
理由を聞いても
答えないくせに放っとくと怒ります。
いつもごめんね。
でもそんな時は懲りずに
とことん付き合ってあげましょう。

定期的に褒めると長持ちします。
爪がキレイとか
小さな変化にも気づいてあげましょう。
ちゃんと見ていて。
でも太ったとか
余計なことは気付かなくていいからね。

もしも少し古くなってきて
目移りする時は
ふたりが初めて出逢った
あの日を思い出してね。

これからもどうぞよろしくね。
こんな私だけど笑って許してね。
ずっと大切にしてね。
永久保証の私だから。

 

「リアルではない」という魅力

 

西野カナさんの楽曲は以前から気になっていました。「わかりやすい」「共感できる」「リアルだ」という言葉で取り上げられる一方で、「会いたくて震える」「私たち Best Friend」という、聞き慣れない人間にとっては正直言って背筋が寒くなるような表現・・・。このように両極端な感想を人々に抱かせるのはなぜだろうか。それがとても不思議でした。

 

もちろん、前者の感想は女子中高生が、後者の感想は主に男性が抱くというように、単純にリスナーの属性の違いから説明できるかもしれません。しかし、じゃあ本当に女子中高生は西野カナさんの楽曲に「共感して」「リアル」と感じているのでしょうか。

 

おそらく、彼女たちは本当に「わかりやすい」歌詞に「共感して」いるのでしょう。しかし、それは自らの感情を西野カナさんの歌詞に合わせるという一種の矯正の結果として生まれたものではないか、そのように私は思っています(まあ、私は女子中高生ではないのでなんとも言えませんが・・・)。

 

矯正の結果というのは具体的に何を指すのか。例えば、とある女子高生が只今恋愛真っ最中だとします。彼女は恋人が好きなので彼に会いたいと思っていますが、もちろん震えてはいません。本当のリアルとして「会いたくて震える」女性がいたら、なかなか怖いです。しかし、「会いたくて 会いたくて 震える」という歌詞に思いを馳せながら、自分の感情はこういうものかもしれない、彼に会いたいという思いはこんなに強いんだ、と自己暗示のようなものをかけ、会いたいという感情をとてもキラキラした特別な感情に変えているのではないでしょうか。その結果、自分の感情が徐々に歌詞と同化していき、「共感して」しまうのではと考えています。

自分のリアルな感情が西野カナさんの歌詞によって「リアルではない」ものに変化することによって、自分の感情をとてもプラスに、かつ肯定的なものに変化させているのだと考えています。

 

会いたくて 会いたくて
作詞:Kana Nishino・GIORGIO 13

(一部)
会いたくて 会いたくて 震える
君想うほど遠く感じて
もう一度聞かせて嘘でも
あの日のように”好きだよ”って…

 

自分を肯定させる

benesse.jp

 

先述の思いを抱いたのは、この記事を見つけたことが契機でした。 日本の高校生の自己肯定感は他国のそれと比較して突出して低いそうです。記事内で紹介されているように、この調査結果に対する異論はもちろん考えられます。しかし、この調査結果を踏まえて、高校生の自己肯定感の低さを補う存在として、西野カナさんの楽曲があるのではないかと考えました。記事内の調査にはありませんが、おそらく同じ高校生でも男性より女性の方が自己肯定感が低いことが考えられます(「Lean in」からもそれが伺えます)。そうであれば尚更に西野カナさんの楽曲の必要性を感じ取ることができます。

LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲
 

 

これまで述べたように、西野カナさんの楽曲にはリスナーの恋愛感情を肯定的なものに変える魅力があります。その対象となるのは現在の感情だけではありません。過去自身が抱いた感情に照らし合わせて彼女の楽曲を聴くことによって、過去の自分も肯定的なものに変えられると思いますし、そのような用途で彼女の楽曲を愛する人も多いでしょう。

 

西野カナさんは歌詞を書く際にかなりの調査をするという話を聞いたことがあります。これも完全な私見ですが、彼女は本当のリアルを調査しながらも、それを歌詞として書き起こす際には脚色を施してキラキラしたものに変えているのでしょう。商業楽曲であればそのような措置は当然のものだと思いますが、その結果として多くの女子中高生が自己肯定感を上げられているのであれば、それはかなり素敵なことだと思うのです。