ぶろぐ

理転もしたけれど、わたしはげんきです。

積読記:人と芸術とアンドロイド(石黒浩)

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人と芸術とアンドロイド― 私はなぜロボットを作るのか

人と芸術とアンドロイド― 私はなぜロボットを作るのか

 

 

ロボット研究が学問の中心に鎮座する未来

 

55−56ページ

 人間は技術社会に深く根づき、それによって進化してきた。その現実の世界を踏まえながら「人間とは何か」を考えるには、哲学に人間の表象としてのロボットを持ち込み、逆に、人間を理解するためのロボットの研究に哲学を持ち込む必要がある。
 哲学者には怒られるかもしれないが、私は、人間を理解するためのロボット研究こそが、全ての学問の中心にあるべきものではないかと思う。実際に私の研究グループは、当初はロボット工学や情報工学の研究者だけで始まったが、今では脳科学者、認知科学者、社会学者も巻き込み、さらには数人の哲学者までも共同研究者に迎えている。

 

「人間とは何か」を追究することが「人間が生きる目的」であり、学術研究の存在意義であるという趣旨の発言を、石黒教授は本書内でされています。かつては、哲学の中でいわば概念的に人間を理解することが中心でした。しかし、それが意味するのは、哲学が至高であるということではなく、「人間とは何か」を研究するための技術基盤が整っていなかったために、いわば仕方なく概念の上でだけで人間を捉えようとしていたことを示しています。そして、技術進展とともに、生命的・工学的に人間を理解しようとする動きが盛んになっているのが現在の状況です。生命的というのは、それこそ生物としての人間、つまり遺伝子レベルで人間を理解しようとする試みであり、工学的というのは、人間を模した人工物(ヒューマノイド)の製作を試みる中で人間の本質をあぶり出そうとする試みを指します。

 

148ページ

人間の定義を求めるという行為、すなわり「人間とは何か」を考えることは、人間にとって常に思考の中心にあった。古くは宗教が人間の定義を与えた。今なお少なくない数の人が、その定義を信じている。次いで、科学や医学が生物的機械としての人間という視点を生み、新しい定義を生み出した。そして今日では、技術が人間の定義を我々に与えているように思う。

  

石黒教授は後者の代表的研究者であり、まさに「人間とはなにか。」を探求されています。本書は、その研究成果を時系列的に追いながら石黒教授の思考を明らかにしています。前述の通り、ロボット研究自体が非常に学際的観点をもつ研究であることもあり、後半になるに従って石黒教授の理念・哲学、果ては芸術に対する考えまでが述べられています。共感できる箇所が多々あり、とても感銘を受けました。

 

最後に、本書内で言及されている映画と、石黒教授の研究成果であるテレノイドの動画を以下に紹介します。テレノイドはその「ミニマルデザイン」ゆえに、万国共通で評価の高いヒューマノイドということです。ミニマルだと対面者自身がそれに対して人物像などを補うため、結果として親しみやすくなっているのではという指摘がありました。

 


"Surrogates" - Official Trailer [HQ] - YouTube


テレノイド 挨拶 - YouTube

 

「ゆらぎ」と生体の動き

 

1.周囲の環境・身体器官からの刺激のインプット
2.脳内での刺激の処理(=情報として整理)
3.身体器官へのアウトプット(=身体の制御・運動)

という伝統的モデルでは人間の行動を説明できないというのは「アフォーダンス」に近しい考えですが、本書においても、伝統的な方式では上手にロボットを制御できないということ、では人間はどのように行動しているのか、といった点の言及があります。

 

104−105ページ

生体と人工のロボットとの大きな違いは、予期せぬ状況に対する適応力にある。プログラムで動くロボットの場合、想定外の状況に出くわすと立ち往生してしまうが、生体はその場に永遠に立ち止まることはない。じたばた動きながら、最後にはなんとかしてしまう。そこには、従来の技術とは根本的に違う原理がありそうだ。

 

108ページ

 具体的にどのようにこの複雑な腕を「ゆらぎ」の原理で動かすか、簡単に説明しよう。腕を動かして何かを摑むことを考える。
 まず全ての筋肉にでたらめな信号(ノイズ)を送り、腕をでたらめに動かす。その際、目標物と手先の間の距離を測っておく。そしてその距離が偶然縮まったときに、送る信号の強さを弱くする。すると、最初より目標に少し近づいた位置で、先ほどより小さめのでたらめな動きが発生する。これを繰り返すことで、手先は最終的に目標物に到達することができる。
 この場合に重要なのは、人間が自分の複雑な体の中身を知らないのと同様に、ロボットは自分の腕が何本のアクチュエータで構成されているかを知る必要がないことである。またこの方法を使うと、人間と同様に、多数の筋肉の一部が壊れていても、他の筋肉を使ってなんとか目標物に手先を近づけることができる。

 

技術と芸術と自然 

 

172−172

述べたように、技術は、もともと芸術に再現性をもたせたようなものだ。誰もが同じ結果を出せる芸術が技術である。そして、芸術とは人間が自分を知るために行う、ありとあらゆる活動を意味する。その意味で、ロボット研究は技術の範疇に収まるものではなく、芸術にまでその活躍の場を広げる必要がある。

  

177ページ

技術は芸術から生まれる。では、芸術はどこから生まれるのか? 何かを作り出す力の最も大きな源泉は自然にある。街が朽ち果てても、そこにはいつしか緑が生い茂るように、自然は常に再生を繰り返し、何かを生み出している。自然は人間のように激しくなく、緩やかでありながら、決してあらがい切れないものである。我々が人間である限り、自然から離れることはできない。このような自然へあこがれは、芸術に対するあこがれにも似ている。

 

その他:引用

 

 16ページ

メディアアートとは、芸術と技術を融合させた新しい分野である。芸術は従来、絵画や音楽で表現されてきた。しかし、現在ではビデオやコンピュータなど、技術開発によって生まれた様々な表現手段がある。過去の芸術の縛りにとらわれることなく、そういった新しい表現手段を積極的に取り入れて、新たな芸術を生み出そうというのがメディアアートの世界である。<コメント:メディアアートの定義として、とても分かりやすい。>

 

32ページ

この実験の結果、アンドロイドと話をするときの訪問者の目の動きと、人間と話をするときの目の動きは、90%以上一致していた。しかし、ワカマルと話をするときの訪問者の目の動きは、アンドロイドや人間と話をするときの目の動きとまったく異なっていた。むろん、5分という長時間の対話では、訪問者の全員がアンドロイドは人間ではないと気がついている。

 

39ページ 

乱暴にいえば、7、8割しか自分のことがわかっておらず、それでも自分としてちゃんと振る舞えていると信じているのが人間なのである。この人間の曖昧さは、人間が社会性を保つうえで重要だと考えられる。

 

126ページ

 こういったことから、人は自分自身の体の認識において非常に柔軟であることがわかる。ゆえに、ジェミノイドのように人間らしい体をもっているものであれば、十分に適応することが可能なのである。
 機械のようなロボットの体でも、長い時間その体を操作すれば自分の体として認識できるようになる可能性はある。しかし、明らかに機械らしい見かけの体にすぐに適応できる人は少ないと思われる。

 

 

159-160ページ

 私や私のまわりのロボット研究者や心理学者は、最近特にこの性の問題に興味をもつようになってきている。人間社会の根幹をなす性の問題について、そろそろ真剣に研究すべきだという意見が出てきているのである。「人間とは何か」という問いに答えるためにも、そしてその人間にとって技術とは、芸術とは何かという根本的な問題に答えるためにも、従来のタブーを乗り越えて、人間の性の問題に目を向ける必要がある。
 事態を複雑にするのは、ロボットの性的機能の進歩である。現在のところ、そういった産業とアカデミアの直接的な結びつきは少ないように思える。しかしながら、社会の根源には性がある。深く原理を追究していけば、両者はいつまでも切り離されたままにはされないだろう。