ぶろぐ

理転もしたけれど、わたしはげんきです。

なぜ高校にキャリア教育がないのか

f:id:sny_njm:20150415233200j:plain

 

本来は自ら学んでいくものだと思いますが、社会と繋がる方法の多様さ・選択肢の広さ(その習得をキャリア教育としますね)を高校時代にしっかり学びたかった思いがあります。この思いは、「自分がやりたいことをする!」といった世間で光り輝くバズワードとは関係ありません。「人生で最も必要な知識は大学で学べる。」とただ単純に思っているからです。

 

日本人は大学生になると勉強しない、という言説が広く展開されています。実際、その傾向は強いと感じますし、私自身、学部時代は全く勉強しない学生でした。ひたすらラク単(単位取得が簡単な授業)を履修して、テスト前に過去問とノートを集めて回る。コミュニケーション能力と図太さは身についたのでそれもまた良しと言えますが、授業料分の知識の習得には至りませんでした。

 

しかし、学部時代を過ごした後に社会人として働き、そして退職をして大学院で勉強する中で、知の習得に対するモチベーションの変化を否応なしに感じました。2年間分の給与を棒に振っているため、機会損失は1,000万円を超えます。しかし、それでもなお、大学院に入ってよかったと思っていますし、知の習得の醍醐味も感じています。

 

学部時代と現在の差異はなんであるのか。それは、勉強と社会の繋がりを意識しているか否かであると思います。勉強しようが遊んでいようが、結局は社会となにかしらの関係を構築して生きなければなりません。自分と社会の繋がりの必要性はほとんどの人が早くから感じていると思います。しかし、勉強と社会の繋がりについては、その意識を早期に形成することは難しいと感じます。

 

「こんな勉強して、何の意味があるの?」と、勉強が苦手な小中学生はよく尋ねます。私が塾講師のアルバイトをしていた時もよく耳にしました。これはごもっともな意見で、小中高の勉強内容で社会と直接繋がる部分などほぼ皆無です。小中高で学ぶ全ての勉強は大学で習得する「社会と直結する学問」の基礎を形成するものだからです。そうなると話は変わります。6歳で小学校に入り22歳で大学を卒業する現在の教育過程において、もっとも勉強するべきは大学生の時です。そして、その時にもっとも情熱的になるためには、その前段階において勉強と社会の繋がりを意識する必要があるはずです。勉強と社会の繋がりというのは単なる綺麗事だけではなく、「この勉強をすればガッツリ稼げる。」という類のものも含みます。それを意識できるだけでも、モチベーション変化は生まれるのではないでしょうか。

 

自分の高校時代を思い出すと、それはもう楽しくて充実していました。ただ、充実し過ぎていたがゆえに、外の世界を知る機会・触れ合う機会を持てなかった後悔があります。だからこそ、数値として把握しやすい偏差値ベースの大学選択になっていました。その学部でどのようなことを勉強するのか、そんなことは全く意に介さず、模試の結果とにらめっこをして志望校・志望学部を決めていました。

 

雑誌がわめきたてるほど簡単に日本の大企業は潰れないと思うので、いい大学・いい会社に入ることに突っ走り、大学名の肩書きを手にした後は遊んでしまうのも楽しい人生を送る方法として相当優れていると思います。しかし、その前に社会と繋がる方法の多様さを知っておくことで、大学での勉強に対する意識にも変化が生まれるのではないでしょうか。