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ぶろぐ

理転もしたけれど、わたしはげんきです。

積読記:新版アフォーダンス(佐々木正人)

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新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)

新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)

 

 

アフォーダンスという言葉を初めて耳にしたのは、いつだっただろうか。会社を辞める決心をするために、自分が興味をもった分野に関する書籍を片っ端から読む中で、ふと出会った記憶はある。その時に読んだのは講談社版(下記)だったが、自分と環境の関係性が逆転する感覚を味わったのを覚えている。別の世界の存在をはっきりと意識した。

月日が経ち、著者の授業を履修することに伴って岩波版を開いてみる。

うん、この感覚もなかなか不思議。

 

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)

 

 

内容整理がつかないまま更新するのは、自分が将来見返すことも考えると心苦しいです。しかし、本書については読了後すぐに更新しないと放置不可避なので、筆を進めます。。講談社版の方がより世俗的というか、関心を得やすい内容が中心になっていると感じます。一方、岩波版はアフォーダンス概念の誕生にまで遡って話が進むため、途中までは上手くフォローできませんでした。再読してなんとか分かったような・・・そんな気分です。

 

1. やさしい気持ちになれる概念

 

さて、そもそも「アフォーダンス」とは何なのでしょうか。本書内では、以下のように説明されています。ここに辿り着くまでの話があった後の定義ですので、ここを読むだけでは理解できません。

 

新版アフォーダンス:60ページ

アフォーダンスは「環境が動物に与え、提供している意味や価値」である。よいものでも(食物や住まいのように)、わるいものでも(毒や落とし穴のように)、環境が動物のために備えているのがアフォーダンスである。
 ギブソンは、環境が空気、物質、そして面の3種から構成されているとした。これらのどれもが、アフォーダンスである。

 

こんな解説がありました。ゲシュタルト心理学+ニュー・リアリズム(新実在論者)→光の理論→アフォーダンスという流れで誕生したそうです。詳細は本書を読んで確認してください。読了後に感じたのは、「知覚する」とは決して単純な構図(刺激→感覚器官による受容→知覚)ではなく、自分と環境との双方向的な関係によって成立するということです。万能な人間がもつ身体・頭脳内であらゆる知覚活動が完結するのではない、という世界観が根底にあるようなのです。いつも利己的に生きている人間の視点からすると耳の痛くなる話です。

 

しかし、この耳の痛さに耐えてアフォーダンスという概念を咀嚼してみると、自分を取り囲む世界の見え方がぐっと変わります。情報はすでに環境の中に存在していて、人間が動いて彼らと関係をもつ中で意味を発見していく。両者の間には優劣は一切ない。というよりむしろ、環境の中で人間は生かされているのだと思わされます。だからこそ、私にとってアフォーダンスは「やさしい気持ちになれる概念」なのです。

 

新版アフォーダンス:58ページ

19世紀以来、心理学は、人が環境から入力するのは刺激であり、意味は中枢でつくられると説明してきた。情報は、脳による刺激の加工の結果だと考えられてきた。ギブソンの「生態学的アプローチ」はこのモデルと対立している。

 

新版アフォーダンス:73-74ページ

アフォーダンスは環境の事実であり、かつ行動の事実である。しかし、アフォーダンスはそれと関わる動物の行為の性質に依存して、あらわれたり消えたりしているわけではない。さまざまなアフォーダンスは、発見されることを環境の中で「待って」いる。アフォーダンスの実在を強調するので、ギブソン理論は「エコロジカル・リアリズム(生態学実在論)」ともよばれる。

 

2. 日本の精神性との近接

 

環境がもつ情報を発見して自身の生活に役立てていく。この考え方はとても日本的・アニミズム的であると思いました。そして、それと同時に、アフォーダンスが批判する伝統的な知覚理論はとても西欧的であると思います。そんなことを考えながら本書を閉じようとしたとき、佐々木先生が残された「旧版あとがき(一部略)」にとても面白い文面がありました。少し長いですがここで紹介します。

 

新版アフォーダンス:131ページ

 ギブソンとほぼ同じ時代に生きアメリカが生んだもう1人の「認識論のエコロジスト」であるグレゴリー・ベイトソンは、「精神の物象化というナンセンス」を攻撃して次のように言っている。
 「きこりが、斧で木を切っている場面を考えよう。斧のそれぞれの一打ちは、前回の斧が木につけた切り目によって制御されている。このプロセスの自己修正性(精神性)は、木ー目ー脳ー筋ー斧ー打ー木のシステム全体によってもたらされる。このトータルなシステムが内在的な精神の特性をもつのである」、「ところが西洋の人間は一般に、木が倒されるシークエンスを、このようなものとは見ず、「自分が木を切った」と考える。そればかりか、”自己”という独立した行為者があって、それが独立した”対象”に独立した”目的”を持った行為を成すのだと信じさえする」、「精神的特性を持つシステムで、部分が全体を一方的にコントロールすることはありえない」、「システムの精神的特性は、部分の特性ではなく、システムの全体に内在する」、「調和的に働き一つの大きなアンサンブルにこそ、精神は宿るのだ」と(『精神の生態学』、佐藤良明訳、思索社(1990))。

 

3. 実際どのくらい役立っているのか

 

詳細は他の文献に譲りますが、ロボット・人工知能・プロダクトデザインの領域ではかなり注目され、参考にされています。なお、少し調べた限りですが、プロダクトデザイン領域ではアフォーダンスの発展系としてシグニファイアという概念が提唱されており、こちらを中心に議論がなされているようです。

本書にも掲載がありましたが、iRobot社のルンバはこの一例のようです。

iRobot ロボット掃除機ルンバ 公式サイト

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